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できること

前々からコミュ力がないだ自信が持てないだ散々言ってましたね・・・
なんだかちょっと答えが見えた気がする。

とあるサイトを見ていたんですけどすごく参考になりました。
今の自分がどういう状況に陥ってたのかが分かりました。

今のままじゃ絶対駄目です。
人生転落まっしぐらコースです。

自分を変えないといけない。
積極的にアクションを起こさないといけない。
待ってても何も始まらない。

岐路に立たされてる気がします。
もう一度自分の人生を考え直したいと思います。


短文記事ですがちょっと久々に思ったことそのまま書いてみた
今のところ抽象的なことしか書いてないのでこれを段々具体的にしていきたい。
そのためにもやっぱり何かしないと。

気付くのが遅すぎた。中学入ってからの5年間何してたんだろう自分。
大人になる上でぽっかり穴のあいてしまった5年間。これの埋め合わせから始めよう。
遅すぎた。でも大学に入る前に気付けて良かった。

自分を変えたい。自分をしっかり持ちたい。
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はじめの一歩

なんでもコツコツやって行くことって大切だなーと思います。
逆に一気にやろうとしても上手く行かないことの方が多い。


一番捉えやすいのが勉強ですねー。
毎日毎日復習してその日にやったことを少しづつ振り返って行けば
気がついたら結構な学習量になっていた・・・みたいになれば良いのですが
その逆になると悲惨なもんで、テスト2週間前辺りにテスト勉強を始めようとしても
「一気に今までの学習内容を振り返る」なんて考えるとどうしてもやる気が無くなる。
外観を見るとたんまり溜まった内容・・・
結局やる気が起こることは無く、直前で慌てて
半ばいやいやテスト勉強をする。

自分の場合は日々の復習すらやる気が起こらないので論外ですが()

テストに限ったことではないです。
一度宿題の提出が遅れて溜めてしまったりすると
消化するのに結構時間がかかったりしますが
それも同じようなもんで、
溜めていた宿題を後でやろうと思っても
そうするうちに次々と宿題が出され続けていき、
おかげで溜めていた宿題とその日々の宿題が重なって
1+1=10のごとく膨大な量のように感じられてしまう。

未だに夏休みの宿題が終わっていないのもこういうメカニズムが絡んでいそうです。
現代文と英語の課題、未だに出してないけど大丈夫なんだろうか・・・ヤバいよね!
でも今更過ぎてやる気が起きない。助けて


日常的にもそういう観念を感じることがよくあります。

最近思ってることで、これ自分だけかもしれないのですが、
「アニメ全話を一気に消化する」心情がどうも理解できません。←

もちろん後になって「面白い」と言われるアニメについて
見てみたいなーという心理は働くんですけど
それを見るってことはつまり1クールアニメでも6時間の時間を要するってことじゃないですか。
2クールで12時間。ほぼ半日です。
そう遠目で考えるとちょっとこの時間を他にも利用出来そうとか
色々渋ってしまうというか・・・ただ単に熱が足りないだけなのか。
そういう場合は、見るにしても
テレビの再放送あるいはニコ生の一挙放送など、何かしらの外からの影響が必要になる気がします。
まぁ見始めたら今度は逆に止まらなくなりますが。
何かしらの始めるきっかけが必要になるというか・・・

とは言っても今季はけっこうアニメ見てるんで
一週間の量を総計すれば3時間は行ってます。
ようは外観として捉えるか細切れとして捉えるかってアレ

似たような話で・・・
弟はワンピースが好きでコミックスも持ってます。
折角家にあるんだし自分も読みたいなーとは思ってるんですけど
いかんせん60巻近くあるので今更読もうにも
本当に何かの起点が無いとその気になりません。

10巻に満たないぐらいの漫画だったら手ごろなんで
普通に読めるというか実際にひだまりスケッチ買ったわけですけど


まあなんか自分の場合は
少しづつコツコツ積み上げていくのが良いというか、
そうでもしないとやってられないですね。

千里の道も一歩から と言いますが
千里の道を見ているとやる気が起きなくなるので
千里なんて考えずにとりあえず気がつけば一歩一歩進んでる
みたいな感じになればいいんじゃないかなと思ってます。
結局のところ言いたいのははじめの一歩って重要だねーってことだけです(

最近思ってることをまとめてみました。
あんま上手くまとまらないもんだねこういうの

ところでまどマギ映画化来ましたね!
いつになるのか分からんけど楽しみです

逃避

そろそろテストも一週間前。
今回は本格的にやる気が起きません。ヤバい。

ここに来て勉強をする意味が見出せなくなってる。
それは進路がまったく決まらないってのが大きな要因で。
進路も決まらないのに勉強してもまったく意味が無い気がしてならなくて。
周囲はぞくぞくと進路をはっきりさせてスイッチ切り換えてたりする人も居るのに
その中で置いていかれてもう自暴自棄に陥ってるというかなんというか。

今までのテストは自分なりに頑張ってきたつもりなのですが
これらのテスト勉強をする最終的な意味は結局、多くのことを学んでその中から好きな学問を見出すことなんじゃないかと思っています。
自分の場合、それがまったく活かせていなかった。
むしろ直前にやたら追い込むばっかりで勉強に対する苦痛の念ばかり残っています。
直前にやるだけじゃ勉強の習慣がつくはずも無いし、
折角勉強した事柄もすぐ忘れるし。
われながら今までの勉強は無意味だとしか思っていません。
それで今後も無意味な勉強を続けても意味が無いんじゃないかと思ってしまう。

進路がはっきりと決まれば目標が出来てモチベーションは上がるらしいですが
それに反比例するかのように自分はかえってモチベーションが下がるばかりで・・・

何か突出した能力が欲しいです。

»続きを読む

専門性

9/27 ちと加筆。

時々思うことがあります。
他の人にあって、自分には無い気がするもの。

自分には胸を張って「これを極めている」と言えるものが無い気がするんです。
もちろん好きなものや興味のあるものもあるけれど、
実際、深くまでのめり込んで行っているものはそれほど無いような気がして。

ポケモンは?なんてのを思うだろうと思いますが、
自分はファンとしては比較的ライトな部類に入ります。
BWだって実は言うほどやり込んでいるわけでも無いのです。
だから自分は「ポケモンを極めている」だなんて胸を張って言えません。
そこら辺のポケモンクラスタさんの方がよっぽどやり込んで、極めているはずです。

自分は旅行が好きです。鉄道に揺られてのんびりするのが好きです。
だからと言って鉄道に関して「極めている」だなんて口が裂けても言えません。
電車の種別だとか系統だとかもあまり知らないですし、やっぱりそこらの鉄道クラスタさんの方が
よっぽど詳しい上に結構自分以上に乗り鉄もやってる。

自分が現在はまっているものとして挙げられるのはまど☆マギ。
しかしこれに関しては一過性にすぎないものだと思います。
これに関して「極めている」と言ったとして、時間が経てば
1クールに過ぎないこのアニメはいつか過去のものとなってしまいます。
だから、「極めている」と言える価値となりうるのは、もっと視野の広い
「アニメ」というジャンルになるんじゃないかと。
自分が「アニメを極めている」だなんて言ったものならそこら辺の方々に軽くボコされるでしょう。

このように、考えてみても自分の「極めている」ものが一切見当たりません。
ようするに、自分には探究心というか、のめり込みが足りない気がするんですよ。

一方、回りを見渡してみると、
ひたすらポケモンの孵化・育成・対戦を続けてプレイ時間がカンストしている方、
日々電車の撮影に明け暮れる方、
毎晩多種多様なアニメに釘付けになる方、
とにかくゲームが好きな方、
PCなどメカニカルなものに詳しい方。
あるスポーツがとにかく好きな方。
いつもペンを持って絵を描いている方。

壮大なことばかりではなく、ちょっとした特技、
たとえばマインスイーパーが異常に早いとか、
物真似がうまいとか、弁舌だとか。

結局、それらは皆費やしてきた時間や、重ねられてきた努力の賜物なんだろうと思います。
そういうものがあるのはとても良い事で羨ましいですし、自分もそうでありたいとは思っているのですが・・・

それに対して自分はあらゆる物事に対して中途半端で、
ミーハーだったり、にわかだったり
結局最終的には何にもならないことばかりな気がするんです。
おまけにその守備範囲も狭い。

それは勉強に関しても言えることで、
だから未だに進路もほとんど決まってないわけだ。

これってすごく致命的な気がして。
結局、人生って最終的には大学へ行くにしろ、就職するにしろ、楽しむにしろ
専門性が問われることになると思うんですよ。
つまり、「人生を通して極めていくもの」を探して行かないといけないわけですよね。
アイデンティティーのような。
今のところ、それらしきものが見当たりません。
まだ探して行く時間もあるかもしれないですが、この先は受験もあってそんなものを探す暇なんて無いだろうし、
ただでさえ守備範囲が狭い。
どうも自分はあまり多くのものに興味が持てないみたいで。
わずかばかりに興味が持てた(という言い方もアレですが)ものも
どこかでストップしてしまって、普遍的なものがない。

とりあえず、現時点での自分は
極めたいものも無く、ただぼんやりと密度のないスカスカな人生を送っている気がしてならないです。

進路を考える度に苦しい。時期的にかなり焦ってます。

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最近

自分って親切が足りないのかなあと思うことが度々あります。

単なる被害妄想に過ぎないかもしれないんですけど、このところオンオフを問わず色んな場面で「親切にしてもらっている」と感じることがあるんです。
それと同時に一昔前のことを思い出して「あの頃は親切にして貰ってたんだなあ」とか。
それが社交辞令的な上辺だけのものだったり、むしろ裏では面倒くさいとさえ思っていたものであったりする可能性もありますが、そう言った相手の深層心理は分かりようが無いので考慮に入れず・・・
また「親切」と言ってもここでは色々あって、ただ単に構ってくれたりするような些細なものもあるし、励ましやアドバイスなんかを含めもう少し重み(?)のあるものもあるし、とりあえず多岐にわたっています。
具体的にどうこうあったのかはここでは割愛させていただくとして・・・

それらの様々な「親切」に対して、自分がその度量に見合った「親切」が返せているのかということを考えることがあるのです。
そこで自分の言動を見直してみると、いつも素っ気なかったり、あやふやなままで終わったり、それっきりだったり、そもそも親切自体をスルーしてしまっていたりということがよくあって。
相手から「親切」をされればもちろん嬉しいですし、自分もそれに対して何かしらの親切を返したいとは思っています。
・・・が、何かとそれが中途半端になってしまっている気がするのです。
ここで言う「親切を返す」ということは「感謝」と言われるものにも似ているようですが、何か違うんですよね。

そこでやっぱり原因として考えられたのが「コミュ力」。
「親切」を誰かに働きかける時には、どれだけダイレクトに、素直に働きかけられるか、と言ったことが重要なのではないかと思うのです。
そういう意味でもやはり相手にそれを直に伝達出来る「コミュ力」といったものは不可欠なのでは・・・と。

話は反れますが、最近自分の中で「コミュ力」というものは相手に自分の意志や考えをしっかりと表現出来る、一種の「素直さ」だと思っています。

だから結果として、自分には「親切」を十分に働きかけられるほどの「コミュ力」もとい「素直さ」が足りないことを実感するのです。

人との関わり合いって言ってみれば「親切と親切の応酬」みたいなものに似ているじゃないですか。
つまり、親切を十分に返せない分段々と周りから人が居なくなる。ぼっちになるのもこれが背景にあるからかもしれないですね。

必ずしも親切がどうこうということがコミュ力に左右される訳でも無いですが、コミュ力の心底に潜んでいる「素直さ」は間違いなく重要な位置を占めているんだと思います。

つくづく、素直に「親切」を表現出来るような人間になりたいものです。

一言で言ってしまえばコミュ力欲しい。ってこれじゃあ本末転倒か・・・←

見返してみるとgdgdとだいぶ無茶苦茶な事書いてんなあ・・・()

プロフィール

緑葉茶屋(りょくようちゃや)へようこそ!

ちゃば

Author:ちゃば
ポケモン・アニメが好き。基本的にチラシの裏です。普段はtwitterに生息。

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